ACE阻害薬による空咳は「ブラジキニンのせい」と覚えるだけでは、患者を重篤な血管浮腫から守れない場合があります。
ブラジキニン(bradykinin)は、アミノ酸9個から構成されるポリペプチドであり、「オータコイド」と呼ばれる局所ホルモンの一種です。全身循環を介する古典的なホルモンとは異なり、産生された組織・局所において素早く作用を発揮するのが特徴です。
ブラジキニンはカリクレイン–キニン系(kallikrein-kinin system)を通じて生成されます。経路は大きく2系統に分かれます。1つは血漿カリクレインが高分子キニノーゲン(HMWK)に作用してブラジキニンを遊離させる「血漿系」、もう1つは膵・腎などの組織に存在する組織性カリクレインが低分子キニノーゲン(LMWK)に作用してリジルブラジキニン(カリジン)を遊離させる「組織系」です。
血漿系では、血液凝固第XII因子(Hageman因子)が活性化されることがきっかけとなります。これはつまり、外傷・感染などによる凝固系の活性化が、同時にブラジキニン産生にもつながるということを意味します。凝固系とキニン系は"協調して動く"生体防御反応なのです。
生成されたブラジキニンは血中での半減期が非常に短く、約15〜30秒以内にキニナーゼII(ACE、アンジオテンシン変換酵素と同一の酵素)によって不活性化されます。これが後述するACE阻害薬の副作用と密接に関係します。
| 生成系 | カリクレインの種類 | 基質(キニノーゲン) | 産生されるキニン |
|---|---|---|---|
| 血漿系 | 血漿カリクレイン | 高分子キニノーゲン(HMWK) | ブラジキニン |
| 組織系 | 組織性カリクレイン(膵・腎・汗腺など) | 低分子・高分子キニノーゲン(LMWK/HMWK) | リジルブラジキニン(カリジン) |
参考:カリクレイン–キニン系の全体像と病態生理的な位置づけについて詳しく解説されています。
循環器用語ハンドブック(WEB版)カリクレイン–キニン系|東亜薬品(医療関係者向け)
ブラジキニンの作用は、主に2種類の受容体サブタイプ——B1受容体とB2受容体——を介して発揮されます。この2つの性質は大きく異なり、臨床的な意義も異なります。
B2受容体は多くの組織・臓器において恒常的に(常に)発現している受容体で、ブラジキニンの生理活性の大部分を担います。血管内皮細胞・平滑筋・感覚神経などに広く分布し、ブラジキニンが結合すると血管拡張・血管透過性亢進・発痛・平滑筋収縮といった急性の反応が引き起こされます。B2受容体が基本です。
B1受容体は対照的に、通常の組織ではほとんど発現していません。炎症反応・組織傷害・細菌感染などの刺激を受けて初めて発現が誘導される「誘導型受容体」です。NGF(神経成長因子)もB1受容体の発現を促進することが知られています。
特に重要なのは、炎症が長引くとB2受容体の数が増加し、さらにB1受容体も発現してくることです。これによりブラジキニンに対する感受性が二重に高まり、慢性炎症に伴う持続的な疼痛(慢性疼痛)が増強される仕組みになっています。「慢性痛はブラジキニンへの感受性が強くなった状態」とも言い換えられます。
参考:B1・B2受容体の詳細な薬理学的特性と受容体拮抗薬の開発状況についての専門的な解説です。
B2受容体が活性化されると、血管内皮細胞ではプロスタグランジンや一酸化窒素(NO)の産生が促進されます。このNO産生こそが、ACE阻害薬による"ブラジキニンを介した臓器保護作用"として心筋梗塞後の予後改善に寄与するという研究報告もあります。意外ですね。
発痛物質はセロトニン・ヒスタミン・アセチルコリン・K⁺(カリウムイオン)など複数知られていますが、その中でブラジキニンは「最強の発痛物質」と位置づけられています。理由は、ポリモーダル受容器(侵害受容器)に対してもっとも強力に感作(sensitization)を引き起こすからです。
ブラジキニンが組織傷害部位で血漿から遊離すると、C線維やAδ線維などの痛み感覚神経終末を直接興奮させます。同時にプロスタグランジンE₂(PGE₂)の産生も誘導し、PGE₂はさらにブラジキニンによる発痛を増強します。つまり、ブラジキニン単独でも強力ですが、炎症局所では"ブラジキニン×PGE₂"という相乗的な増幅が起きます。
NSAIDsがブラジキニン性疼痛に効果的な理由がここにあります。NSAIDsはシクロオキシゲナーゼ(COX)を阻害してPGE₂の産生を抑制し、ブラジキニンによる発痛増強を遮断するのです。NSAIDsはブラジキニン自体を抑えているわけではないのが原則です。
さらに、炎症が持続する環境では先述のB1受容体が誘導発現され、ブラジキニンの代謝産物であるdes-Arg⁹-BKもB1受容体を刺激して痛みを持続させます。これが急性炎症から慢性疼痛への移行に関与していると考えられています。
痛み管理を担う医療従事者にとって、この連鎖を理解しておくことは鎮痛薬の選択根拠を患者に説明するうえでも有用です。これは使えそうです。
参考:発痛物質としてのブラジキニンの位置づけと、プロスタグランジンとの相互作用についての分かりやすい解説です。
ACE阻害薬はアンジオテンシン変換酵素(ACE)を阻害することで、アンジオテンシンIからアンジオテンシンIIへの変換を抑制し降圧作用を発揮します。しかし同時に、ACE(キニナーゼII)によるブラジキニンの分解も抑制されます。その結果、組織・血中のブラジキニン濃度が上昇し、さまざまな副作用が生じます。
最もよく知られているのが空咳(乾性咳嗽)です。発現率は5〜35%と幅がありますが、日本人を含むアジア人では欧米人と比較して発現率が高いとされています。メカニズムは、上昇したブラジキニンが気道の感覚神経(C線維)を刺激し、咳反射を亢進させることです。投与開始後数週〜数か月で出現することが多く、ARBへの切り替えで改善します。
一方、見落とされやすいのが血管浮腫(血管性浮腫)です。空咳と同じ機序で起こる副作用でありながら、命に関わる重篤な状態に進展しうる点で深刻度が大きく異なります。発現率は0.1〜5%程度とされており、皮膚・口唇・舌・咽頭・喉頭などに浮腫を生じます。特に咽頭・喉頭に浮腫が及んだ場合、気道閉塞・呼吸困難となる危険性があります。重篤化します。
ACE阻害薬を処方している患者への服薬指導では「空咳が出たら報告して」というだけでなく、「口唇や舌がしびれたり腫れた感じがしたら、すぐに受診して」という指導が必須となります。血管浮腫の初発症状として口腔・口唇の違和感が多く報告されているためです。
| 副作用 | 発現率の目安 | 主な機序 | 対応 |
|---|---|---|---|
| 空咳(乾性咳嗽) | 5〜35%(アジア人で高い) | ブラジキニン↑→C線維刺激→咳反射亢進 | ARBへ切り替え |
| 血管浮腫(血管性浮腫) | 0.1〜5% | ブラジキニン↑→血管透過性亢進→浮腫 | ACE阻害薬中止・重症例は緊急対応 |
参考:ACE阻害薬による血管浮腫の副作用機序と副作用機序別分類についての実践的な解説です。
第7回 ACE阻害薬の血管浮腫はなぜ起こるの?|副作用機序別分類を極めよう!(グッドサイクルシステム)
ブラジキニンの作用機序を理解するうえで、医療従事者が特に注意すべき関連疾患が「遺伝性血管性浮腫(Hereditary Angioedema:HAE)」です。これは指定難病(原発性免疫不全症候群に含まれる)であり、患者数が少ないため発見が遅れることが多い疾患です。
HAEの主な原因はC1インヒビター(C1-INH)の量的欠乏または機能低下です。C1-INHは血漿カリクレインや第XII因子を抑制する働きを持っており、C1-INHが不十分だとカリクレイン–キニン系が過剰に活性化し、ブラジキニンが大量に産生・蓄積されます。その結果、皮膚・腹部・喉頭などで再発性の浮腫発作が起こります。
HAEとアレルギー性血管浮腫(ヒスタミン起因性)は臨床的に見分けが難しいことがあります。決定的な違いは「抗ヒスタミン薬・ステロイドが効かない」点です。HAEの浮腫はブラジキニン起因性であるため、ヒスタミン拮抗薬での治療は無効です。抗ヒスタミン薬が効かない浮腫がある場合は疑いが必要です。
発作時の治療としてはC1-INH製剤の投与が第一選択となります。また、ブラジキニンB2受容体拮抗薬である「イカチバント(商品名:フィラジル)」が皮下注射製剤として使用可能であり、在宅での自己投与も承認されています。これは浮腫発作の早期治療を可能にし、患者の生活の質改善につながる重要な選択肢です。
参考:HAEの病態・診断・治療について、患者向けに分かりやすくまとめたサイトです。臨床での患者説明にも活用できます。
HAE(遺伝性血管性浮腫)の原因|腫れ・腹痛ナビ(武田薬品工業)
参考:HAEの診療ガイドラインに基づいた診断フローと治療指針の解説で、専門医向けの情報が充実しています。
HAEの検査・診断と治療|一般社団法人遺伝性血管性浮腫診断コンソーシアム