承認済みのはずなのに、麻薬施用者免許がない医師は処方できません。
ドロナビノール(Dronabinol)は、大麻草(Cannabis sativa)から発見された主要精神活性成分であるΔ9-テトラヒドロカンナビノール(Δ9-THC)の合成異性体に付けられた国際一般名(INN)です。天然の大麻から抽出されたものではなく、化学的に合成されたゴマ油溶液として製剤化されています。商品名「マリノール®(Marinol®)」および「シンドロス®(Syndros®)」として知られており、どちらも製造・販売元はAbbVie社(旧Solvay Pharmaceuticals)です。
ドロナビノールはカンナビノイド受容体—主にCB1受容体およびCB2受容体—と結合することで、中枢神経系と免疫系に多様な薬理作用を発揮します。制吐作用、食欲増進作用、鎮痛作用、そして精神作用(多幸感・幻覚)がその主なものです。THCそのものですから、精神作用があることは避けられません。これが医療現場での取り扱いに慎重さが求められる根拠になっています。
開発の歴史としては、1986年にFDA(米国食品医薬品局)が化学療法誘発性悪心・嘔吐(CINV)の治療薬として初承認を行い、1992年にはHIV/AIDS患者の体重減少を伴う食欲不振の治療にも適応が拡大されました。つまり、ドロナビノールは40年近い臨床使用歴を持つ薬剤です。承認された経緯は長い、ということですね。
一方で日本では、長らく大麻取締法のもとTHC含有製剤の医療利用は法的に禁止されていました。2024年の法改正によってその枠組みが大きく動いたのですが、「解禁」と「実際に使える」の間には依然として大きなギャップがあります。この点は後のセクションで詳しく解説します。
ドロナビノールの化学的な特性として、脂溶性が非常に高いことが挙げられます。経口投与後の生物学的利用率は約10〜20%と低く、初回通過効果を強く受けます。食事と一緒に服用すると吸収率が改善されることが知られており、臨床投与の際には「食後服用」の指示が重要です。この情報は、将来的に日本の医療現場で処方される機会があったときに直接役立ちます。
2024年12月12日、「大麻取締法及び麻薬及び向精神薬取締法の一部を改正する法律」の第1段階が施行されました。この法改正は日本の医療史において非常に重要な転換点です。簡単に言えば、大麻及びTHC含有製剤を「大麻取締法」の規制から「麻薬及び向精神薬取締法(麻向法)」へと移管したのです。
これにより、有効性・安全性が確認された大麻由来医薬品(THCを含む製剤を含む)については、モルヒネやフェンタニルなどと同様に「医療用麻薬」として医師の処方に基づき使用できる法的根拠が整いました。さらに2025年3月1日には第2段階施行が行われ、大麻草の栽培規制の枠組みも整備されています。
処方条件が整いました。では実際に処方できるのでしょうか?
現時点(2026年3月)では、日本国内で承認されている大麻由来医薬品は依然としてゼロです。法的枠組みは整ったものの、薬事承認を受けた製品が存在しない状態です。最も承認に近いとされるエピディオレックス(CBD経口剤、難治性てんかん治療薬)ですら、2024年8月に国内第III相臨床試験で主要評価項目を達成できなかったと報告されており、承認時期は不透明な状況が続いています。
ドロナビノール(マリノール)自体についても、日本での承認申請はなされておらず、現時点では正規の流通経路による処方は不可能です。ただし、規制の「枠組み」が整ったことは、将来的な承認申請への道が開かれたことを意味します。医療従事者として今のうちに情報を蓄積しておく意義は十分にあります。
| 項目 | 改正前(2024年12月11日以前) | 改正後(2024年12月12日以降) |
|------|--------------------------|--------------------------|
| 法的根拠 | 大麻取締法(使用罪なし) | 麻向法(麻薬として管理) |
| 医療利用 | 原則禁止(施用も患者使用も不可) | 薬事承認された製品は使用可能 |
| 処方資格 | 該当なし | 麻薬施用者免許を持つ医師のみ |
| 違反罰則 | 栽培・所持等(使用は不問) | 使用罪を含む(最大7年の拘禁刑) |
大切なポイントが一つあります。改正後は「大麻の使用罪」が新設されたため、仮に患者が海外で合法的に入手したTHC製剤を持ち込んで使用していた場合も、刑事罰の対象になります。医療従事者として、患者への服薬指導や問診時にこの点を正確に理解しておくことは、法的リスク回避の観点からも重要です。
厚生労働省による改正法施行に関する公式情報はこちらで確認できます。
厚生労働省「令和7年3月1日に大麻取締法及び麻薬及び向精神薬取締法の一部を改正する法律の一部が施行されます」
海外での臨床使用における主要適応は2つです。①化学療法誘発性悪心・嘔吐(CINV)、②HIV/AIDS患者の食欲不振に伴う体重減少、この2点が正式承認を受けています。
CINVへの効果については豊富なエビデンスが蓄積されています。2015年に公表されたコクランレビューでは、がん化学療法誘発性の悪心・嘔吐に対するドロナビノールおよびナビロンに関する23件の研究(参加者1,326例)が解析されました。結果として、これらのカンナビノイド製剤はプラセボよりも有用であり、他の制吐薬と同等以上の効果が得られたことが示されています。制吐効果が確認されています。
ただし、注意すべき点があります。これらの臨床試験の多くは1980〜1990年代に実施されたものであり、当時の化学療法レジメンと制吐薬の選択肢を背景としています。現在では5-HT3拮抗薬(オンダンセトロン等)、NK1受容体拮抗薬(アプレピタント等)、デキサメタゾンの3剤併用が標準的な制吐療法として確立されており、ドロナビノールの位置付けは「標準治療に反応しない症例への選択肢」というのが現代における評価です。
食欲不振・体重減少への適応については、1992年にHIV/AIDS患者を対象とした研究に基づいてFDA承認が拡大されました。対象となった主な研究(Beal JEら、1995年)では139例のHIV/AIDS患者を対象とし、食欲改善効果が確認されました。ただし、統計的に有意な体重増加は認められなかったとも報告されています。食欲の改善は見られます。しかし体重回復との間には差があることに留意が必要です。
多発性硬化症(MS)に関しても研究が蓄積されています。ドロナビノールを含む複数のカンナビノイド製剤を対象とした17件の研究(総参加者3,161例)のレビューでは、カンナビノイドがMS患者の痙縮(患者自己評価)、疼痛、膀胱問題にわずかな改善をもたらすことが示されました。ただし、客観的評価指標では有意な改善は認められておらず、エビデンスとしては「限定的」という評価になっています。
日本の医療従事者が参照できる権威ある情報源として、厚生労働省EJIMの医療専門家向けページが役立ちます。
厚生労働省EJIM「大麻(マリファナ)とカンナビノイド(医療関係者向け)」
副作用の把握は臨床上必須です。ドロナビノールはTHCそのものであるため、中枢神経系への影響が顕著に現れます。主な副作用として、めまい・眠気・ユーフォリア(多幸感)・協調運動障害・幻覚・認知機能低下が挙げられます。これらは用量依存性です。
臨床試験データでは、カンナビノイド薬を服用した患者の多くが「めまいや眠気」を訴えており、これが治療継続の妨げになるケースも報告されています。高齢者では、起立性低血圧による転倒リスクが上昇することも重要な注意点です。骨折などの外傷リスク上昇との関連が示されており、65歳以上の患者への投与には特別な配慮が求められます。
🔶 主な中枢神経系副作用
- めまい・ふらつき(最も頻度が高い)
- 傾眠・倦怠感
- 多幸感・気分変動
- 幻覚・妄想(高用量時)
- 認知・記憶機能低下
🔶 その他の副作用
- 起立性低血圧・頻脈
- 口渇
- 食欲増進(治療目的に沿う場合もある)
- 悪心・嘔吐(逆説的に起こりうる)
- 長期大量使用時:カンナビノイド過剰摂取症候群(反復性嘔吐)
薬物相互作用についても医療従事者は把握が必要です。ドロナビノールはCYP3A4で代謝されるため、同酵素を阻害・誘導する薬剤との相互作用が生じます。また、CNS抑制薬(ベンゾジアゼピン、オピオイド、アルコールなど)との併用では相加的なCNS抑制が増強されるため、特に注意が必要です。
🔷 主な相互作用
| 併用薬分類 | 相互作用の内容 |
|-----------|------------|
| CYP3A4阻害薬(アゾール系抗真菌薬等) | ドロナビノール血中濃度の上昇 |
| CYP3A4誘導薬(リファンピシン等) | ドロナビノール効果の減弱 |
| CNS抑制薬(ベンゾジアゼピン・オピオイド等) | 相加的なCNS抑制増強 |
| 抗コリン薬 | 頻脈増強のリスク |
加えて、医療従事者が特に把握しておくべき「実務上の落とし穴」があります。ドロナビノール(合成THC)を服用している患者の尿・血液の薬物スクリーニングでは、大麻(THC)陽性反応が検出されます。日本のWikipediaおよびWADA禁止表(2020年版)にも明示されているように、天然Δ9-THCと合成THC(ドロナビノール等)はともに競技禁止物質として指定されています。スポーツ選手の診療を行う医師・薬剤師は、この点を十分に踏まえた上で患者説明を行う必要があります。
日本臨床カンナビノイド学会「カンナビノイドと規制物質法(CSA)に関する情報」
海外の医学文献にはあまり登場しない、日本独自の文脈から考えるドロナビノールの課題があります。これは医療従事者として患者対応や将来の実務に直接関係する視点です。
「解禁」≠「処方できる」という現実を正確に理解する
2024年12月の法改正後、一部メディアは「医療大麻が解禁された」と報道しました。これを受け、難治性てんかんの患者家族や疼痛管理に悩む患者・家族が医療機関で「使えますか」と聞いてくるケースが発生しています。医療従事者がこの質問に正確に答えられないと、患者の信頼を損ない、また法的リスクに関する誤解を招く可能性があります。解禁と承認は別物です。
現状を整理すると、次のとおりです。大麻由来医薬品を処方するには①薬事承認を受けた製品が存在すること、②処方医が麻薬施用者免許を持っていること、③施設が麻薬取扱施設として届出・管理体制を整えていること、という3つの条件がすべて揃う必要があります。現時点では①がゼロである以上、処方は不可能です。この3条件が条件です。
ドロナビノールをめぐる国際的な規制の非対称性
日本の医療従事者が海外の文献を読む際に気をつけるべき点があります。米国ではドロナビノールは連邦規制物質法(CSA)においてスケジュールIII(乱用可能性が低く認められた医療用途がある)に分類されており、麻薬処方薬として一般医師が処方できます。一方、日本では現状として承認製品がなく、かつ将来承認されても「麻薬施用者免許」が必要です。
この差は、単なる制度の違いにとどまりません。米国の臨床プロトコルや投与量の根拠をそのまま日本の実臨床に当てはめようとする際に、適法性の問題が生じる可能性があります。海外エビデンスは参照しつつも、適用文脈を常に確認するという姿勢が必要です。これは研究を読む際の基本です。
患者の自己使用・持ち込みに関するリスクへの対応
2024年の大麻使用罪新設により、日本人が海外(例:カナダ、ドイツ、米国の合法州)でTHC含有製品を入手・使用した場合でも、帰国後に尿検査等で陽性となれば刑事罰の対象になります。これは医療目的であっても例外ではありません。
難治性疾患を抱える患者・家族が、手段を選ばず海外から製品を持ち込もうとするケースが報告されています。そうした患者と接する際に、医療従事者として法的リスクを適切に説明できるかどうかが問われます。「7年以下の拘禁刑」という重大な刑罰が科せられうることを、穏やかかつ正確に伝えられる準備が必要です。
患者対応における参考情報として、日本臨床カンナビノイド学会が医療従事者向けの情報提供を行っています。
日本臨床カンナビノイド学会(JCAC)公式サイト:カンナビノイド医療に関する医療従事者向け最新情報
将来的にドロナビノール類似製剤や大麻由来医薬品が日本で承認された際、医療機関が何の準備もなければ、対応が数カ月単位で遅れることになります。今から備えておくべき実務的な観点を整理します。
麻薬施用者免許・麻薬管理者免許の取得
大麻由来医薬品は「麻薬」として分類されるため、処方には麻薬施用者免許(医師・歯科医師・獣医師のみ取得可能)が必須です。管理には麻薬管理者免許(医師・歯科医師・獣医師・薬剤師が取得可能)が必要です。これらの免許は都道府県知事から交付されます。申請から免許証交付まで一定の時間を要するため、承認後に慌てないための事前確認が重要です。
看護師はいずれの免許も取得できません。つまり処方・管理ともに医師・薬剤師が主体となる業務です。現場では、免許取得済みの担当者が誰かを確認しておくことが第一歩になります。
保管・記録管理体制の確認
麻薬として指定された医薬品は、専用の堅固な金庫(鍵付き・固定設置)での保管が義務付けられます。また、使用・廃棄を含むすべての取引について詳細な記録を保持し、定期的に都道府県に報告する義務があります。この管理体制は、麻薬処方を行っている多くの病院・クリニックでは既に整備されているはずです。現在の管理体制で大麻由来医薬品も対応できるかを確認しておきましょう。
スタッフ教育と患者説明のプロトコル整備
患者や家族から「大麻の薬が使えますか」という問い合わせを受けた際に、正確・適切に対応できるスタッフの育成が急務です。また、ドロナビノール等THC含有製剤を処方した患者に対しては、①向精神作用(運転・危険作業の禁止)、②薬物スクリーニング陽性の可能性、③WADA禁止表への記載(アスリートの場合)、④日本の法律下での管理義務(他人への譲渡は麻薬譲渡として罰則あり)、以上4点を含む説明文書の整備が将来的に必要となります。
🔹 今から始められる準備チェックリスト
- 院内の麻薬施用者免許保持者の確認
- 麻薬保管金庫の設置・固定状況の確認
- 日本臨床カンナビノイド学会の情報を定期フォロー
- カンナビノイドに関する研修・学習機会への参加(登録医・登録師制度の検討)
- 患者への説明フローの素案作成
大麻由来医薬品の流通・管理に関する厚生労働省の公式マニュアルは、一般の医療用麻薬管理と共通の枠組みを持っています。現行の麻薬管理マニュアルを今一度確認しておくことが実務的な備えとして有効です。
厚生労働省「病院・診療所における麻薬管理マニュアル」:大麻由来医薬品(麻薬)の管理にも共通する保管・記録義務の基礎知識