免疫を高めるほど自己免疫疾患もがんも防げると思っていたら、実はTreg細胞が少ないとがんが加速します。
2025年10月6日、大阪大学特任教授・坂口志文氏が「末梢性免疫寛容に関する発見」によりノーベル生理学・医学賞を受賞しました。日本人として29人目、生理学・医学賞では6人目という快挙です。共同受賞者は米国システム生物学研究所のメアリー・E・ブランコウ博士、米国ソノマ・バイオセラピューティクス社のフレッド・ラムズデール博士の3名です。
この受賞の核心にあるのが「制御性T細胞(Regulatory T cell:Treg)」の発見です。免疫学においてTregの発見は、長年謎とされてきた「なぜ健康な人の免疫は自己を攻撃しないのか」という問いへの根本的な解答でした。つまり免疫の暴走を抑制するブレーキ役の細胞が存在し、そのバランスが崩れた時に自己免疫疾患が発症するという新しいパラダイムを提示したのです。
研究の始まりは、1969年に愛知県がんセンターから発表された一本の論文でした。生後3日目のマウスから胸腺を摘出すると、免疫反応が弱まるどころか逆に各臓器で自己免疫疾患様の炎症が起きるという驚くべき結果でした。坂口氏はこの謎に引き込まれ、解明を決意します。
研究には20年以上にわたる逆風が伴いました。
1970年代には「サプレッサーT細胞(抑制性T細胞)」仮説がブームとなりましたが、1983年にその特定分子の遺伝子がT細胞内に存在しないことが判明し、免疫抑制T細胞の研究自体がタブー視されるようになります。坂口氏の研究もサプレッサーT細胞と混同され、発見は長く無視されました。冬の時代でした。
それでも坂口氏は分子・遺伝子レベルでの実体把握にこだわりました。そして1995年、免疫反応を抑制するT細胞の表面に「CD25」というマーカーが存在することを特定し、CD4陽性CD25陽性T細胞という形でTregの実体を初めて証明します(J Immunol. 1995:155:1151–1164)。この論文はその後Tregの出発点として世界中で引用される歴史的一報となりました。
参考:産総研マガジン「2025年ノーベル生理学・医学賞『末梢性免疫寛容』とは?」
https://www.aist.go.jp/aist_j/magazine/20251210.html
Tregは体内のCD4陽性T細胞全体のうち、わずか約5〜10%程度を占めるにすぎません。ごく少数です。それにもかかわらず、この細胞群が免疫系全体のバランスを保つ中心的役割を担っています。
Tregが免疫反応を抑制するメカニズムは主に3つに分類できます。
| 機序 | 分子 | 作用 |
|---|---|---|
| ① サイトカイン分泌による抑制 | IL-10、TGF-β | エフェクターT細胞の活性化・増殖を抑制 |
| ② 細胞間接触による抑制 | CTLA-4 | 樹状細胞や他のT細胞に直接働きかけ活性化を阻害 |
| ③ アポトーシスの誘導 | IL-2枯渇など | 役目を終えた免疫細胞を細胞死へ誘導し免疫反応を収束 |
これらの多重メカニズムが協調することで、健常人の免疫は「攻撃すべき異物は排除し、自己は攻撃しない」という精巧なバランスを維持しています。このしくみが末梢性免疫寛容の本体です。
重要な転換点が2001年に訪れます。ブランコウ博士とラムズデール博士が「スカーフィマウス」という重篤な自己免疫症状を呈する特殊なマウスの原因遺伝子を発見し、Foxp3と命名しました。そしてこのFoxp3遺伝子のヒト対応遺伝子FOXP3の変異が、IPEX症候群(免疫不全、多内分泌腺障害、腸疾患、X染色体連鎖症候群)の原因であることを突き止めたのです。
坂口氏はこのFoxp3をすぐにTregと結びつけました。研究室の堀昌平博士(現・東京大学教授)が、Foxp3遺伝子はTreg細胞においてのみ活性化していること、さらに未成熟T細胞でFoxp3を強制発現させるとTregに分化することを2003年に「Science」誌に発表します(Science. 2003:299:1057–1061)。Foxp3こそがTregのマスターレギュレーターであることが確定的になりました。
Foxp3の発見は大きな意味を持ちます。なぜなら、FOXP3遺伝子の変異→Treg機能不全→全身性自己免疫疾患という明確な因果連鎖が実証されたからです。つまりTregの機能異常は、臓器移植の拒絶反応、関節リウマチ、1型糖尿病、多発性硬化症(MS)などの自己免疫疾患と直結しているということです。Foxp3が条件です。
参考:大阪大学免疫学フロンティア研究センター ノーベル賞特設ページ
ここで医療従事者にとって最も重要な観点の一つに触れます。Tregは自己免疫疾患の防御という「正の役割」を持つ一方、がん治療においては「両刃の剣」となります。
国立がん研究センターの報告によると、悪性黒色腫や肺がんをはじめとする多くの固形腫瘍の腫瘍微小環境(TME)では、活性化して免疫抑制機能が増強したTregが増加していることが確認されています。これは深刻な問題です。
がん細胞はもともと自己由来の変異細胞です。そのため、Tregは「自己攻撃を防ぐ」という本来の役割を果たすつもりで、誤ってがん細胞を外敵による攻撃から守ってしまうのです。さらにがん細胞自体がTregを積極的に腫瘍内へ呼び込み、免疫回避に利用するという狡猾なメカニズムも解明されています。
🔑 Tregとがん治療の相関関係
- 多くの固形がんで腫瘍内Treg比率が上昇していることが予後不良と相関
- Tregが活性化しすぎると、免疫チェックポイント阻害薬(ICIs)の効果が減弱
- 逆に腫瘍特異的にTregを抑制できれば、ICIsの奏効率を高められる可能性がある
免疫チェックポイント阻害薬(抗PD-1抗体・オプジーボなど)は、2018年ノーベル賞受賞の本庶佑氏の研究を起源とする治療法ですが、効かないがん種・効かない患者が依然として多いという課題があります。そこに登場したのが「Tregを選択的に抑制してICIsの効果を増強する」という戦略です。
現在、国内外でTregを対象とした臨床試験は200件以上に上るとカロリンスカ研究所の発表会見でも言及されています。制御性T細胞そのものを医薬品として使うアプローチと、Tregを標的として除去・抑制するアプローチの両面で研究が加速しています。これは使えそうです。
参考:JST サイエンスポータル「制御性T細胞の最新研究2論文、米科学誌に同時掲載」
https://scienceportal.jst.go.jp/stories/20251105_g01/
ここでは、既存の記事ではあまり論じられていない観点——「Tregに関する理解の深さが実際の診療にどう影響するか」を考えてみます。
Tregの機能不全が引き起こす疾患スペクトラムは非常に広く、日常診療で見かける疾患が実は「Treg機能異常」という共通項で結びついていることが少なくありません。たとえば以下のような疾患群は、Treg研究の進展によって新たな視角で捉え直されています。
🩺 Treg機能異常が関与すると考えられる主な疾患
| 疾患領域 | 代表的な疾患例 |
|---|---|
| 自己免疫疾患 | 関節リウマチ・1型糖尿病・多発性硬化症・全身性エリテマトーデス(SLE) |
| アレルギー疾患 | アトピー性皮膚炎・気管支喘息・食物アレルギー |
| 炎症性腸疾患 | クローン病・潰瘍性大腸炎 |
| 移植関連 | 臓器移植後慢性拒絶・骨髄移植後GVHD |
| がん関連 | 腫瘍微小環境における免疫回避 |
また、2025年にノーベル財団のプレスリリースで「免疫系のセキュリティガード(警備員)」と表現されたTregの機能は、妊娠維持においても重要な役割を果たすことが知られています。妊娠中は胎児(半分が非自己のDNAを持つ)を免疫系が攻撃しないようにTregが増加しますが、この機能に異常があると不育症(習慣性流産)の一因になると報告されています。これは意外ですね。
現時点でTregを直接測定する検査は一般臨床では普及していません。ただし将来的には、Treg比率の測定が自己免疫疾患の発症予測や、免疫チェックポイント阻害薬治療の奏効予測バイオマーカーとして使われる可能性があります。
医療従事者として今押さえておくべきポイントは「Treg研究の動向が自分の専門領域の治療戦略に直結している可能性を常に意識する」という姿勢です。たとえば、免疫チェックポイント阻害薬を使用する場面では、腫瘍微小環境内のTreg比率が治療効果の予測因子になり得ます。また自己免疫疾患を診療する場面では、Treg増強療法(低用量IL-2投与など)が将来の選択肢として加わる可能性があります。
Treg研究は今がまさに転換期です。2025年のノーベル賞受賞は「科学的評価の確定」を意味するとともに、「臨床応用フェーズへの正式な幕開け」を告げるシグナルでもあります。医療従事者として今から理解を深めておくことが、数年後の診療に直結する知識となるでしょう。
低用量IL-2投与によってTregを増強する方法は、すでに13の自己免疫疾患を対象とした臨床試験(バスケット試験)で有効性が示されており(Journal of Autoimmunity, 2024)、今後の普及が期待されています。Treg療法の動向を追うなら、大阪大学IFReCや国立がん研究センターの公式情報が一次情報として有用です。
参考:医療業界メディア「ノーベル賞で話題の制御性T細胞はがんの特効薬になる?」
https://medical-b.jp/topics/topics-20251027