「ブロードスペクトラム抗菌薬を使えば、とりあえず患者は治るから安心」と思っているなら、それがすでに耐性菌の温床を作っています。
抗菌薬を語るうえで欠かせないのが「スペクトラム(spectrum)」という概念です。スペクトラムとは、ある抗菌薬が有効に作用できる細菌の範囲を指し、その範囲が広いものを「ブロードスペクトラム(broad spectrum)」、狭いものを「ナロースペクトラム(narrow spectrum)」と呼びます。
たとえば、セファゾリン(第1世代セファロスポリン)はグラム陽性菌に強く、グラム陰性菌への効果は限定的なナロー寄りの薬剤です。一方、メロペネム(カルバペネム系)はグラム陽性菌・グラム陰性菌・嫌気性菌・緑膿菌にまで効果が及ぶ、代表的なブロードスペクトラム抗菌薬です。イメージとしては、ナローが「特定の虫だけに効く農薬」、ブロードが「ありとあらゆる虫に効くけれど、益虫も殺してしまう農薬」に近い関係です。
スペクトラムの広さを感覚だけで捉えることには限界があります。そこで近年、「抗菌薬スペクトラムスコア(ASS)」が開発されました。代表的なスコアの1つであるASC(Antibiotic Spectrum Coverage)スコアでは、77種類の抗菌薬について15の対象微生物への抗菌活性の有無を加算方式で点数化しています。
| 抗菌薬 | ASCスコア(目安) | 主なカバー域 |
|---|---|---|
| アモキシシリン | 5点 | グラム陽性菌・一部グラム陰性菌 |
| アモキシシリン/クラブラン酸 | 7点 | +βラクタマーゼ産生菌 |
| ピペラシリン/タゾバクタム | 11点 | +緑膿菌・嫌気性菌 |
| セファゾリン | 3点 | 主にグラム陽性菌 |
| セフトリアキソン | 6点 | グラム陽性・陰性菌 |
| メロペネム | 12点 | ほぼ全域(最広域) |
つまり「ブロード」「ナロー」の二項対立ではなく、数値的なグラデーションが存在するということです。臨床現場で「なんとなく広域」と感じている薬剤が、実際にはスコア上で大きく差がある場合もあります。日本国内の15病院に所属する18名の感染症専門薬剤師を対象にした調査(2025年、Diagnostic Microbiology and Infectious Disease誌掲載)では、アミノグリコシド系やフルオロキノロン系においてASCスコアと薬剤師の感覚的スコアに顕著な乖離が確認されています。スコアだけで全てを判断するわけではありませんが、スペクトラムを「感覚」ではなく「根拠」で捉えることが適正使用の第一歩です。
参考:抗菌薬スペクトラムスコア(ASS)の意義と活用について(岡山大学病院 萩谷英大先生)
【感染症内科ドクターの視点シリーズ⑬】抗菌薬スペクトラムスコア 薬剤耐性菌対策を推進する新たな指標 | ICT Mate
「カバーが広いなら安心」という感覚は、医療現場でよく見られる思い込みです。これは正しくありません。
ブロードスペクトラム抗菌薬を不必要に使用し続けると、本来そこにいた感受性菌が死滅し、耐性遺伝子を持つ少数の菌だけが生き残って増殖します。これが薬剤耐性(AMR: Antimicrobial Resistance)の基本的な発生メカニズムです。まるで除草剤を繰り返し使った畑に、強い雑草だけが残るのと同じ構造です。
日本の現状を見ると、数字の深刻さが浮かび上がります。2019年に国立国際医療研究センター病院の研究チームが発表した推計によると、MRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)とフルオロキノロン耐性大腸菌による菌血症だけで、2017年に国内で年間約8,000人が死亡しています。さらに2021年のIHMEの推計では、日本においてAMRに起因する死亡者数は年間17,400人にのぼるとされています。これは交通事故死亡者数(2023年:2,678人)の約6倍以上にあたる規模です。
深刻ですね。
さらに、広域抗菌薬の使用は患者個人への直接的な副作用リスクも高めます。常在菌叢が破壊されることで、クロストリジオイデス・ディフィシル感染症(CDI)が誘発されやすくなります。CDIは抗菌薬関連腸炎の最も一般的な原因であり、高齢者や免疫抑制状態の患者では重篤化のリスクが特に高いです。
亀田総合病院の細川直登氏(感染症科部長)は医学書院の記事の中でこう明言しています。「ブロードスペクトラムな薬を使ってもとりあえず患者さんは治ってしまうので、こうした負の側面は見えにくいかもしれない。しかし耐性菌が増え続ければ、将来の患者さんを治療できる薬がなくなってしまうことになりかねない」と。目の前の患者だけでなく、未来の患者を守る視点が求められるということです。
参考:抗菌薬の使い分けと耐性菌問題(亀田総合病院 細川直登氏インタビュー)
抗菌薬を知って、正しく使いこなそう | 医学書院
参考:日本における薬剤耐性菌による死亡推計(国立感染症研究所)
日本における薬剤耐性菌による死亡数の推計について | 国立感染症研究所
ブロードスペクトラム抗菌薬が最も威力を発揮するのは、「エンピリックセラピー(経験的治療)」の場面です。エンピリックセラピーとは、原因菌が培養で同定される前の段階で、感染部位や患者背景から想定される起炎菌を広くカバーするために、広域抗菌薬を先行投与する治療戦略です。
エンピリック治療の基本が原則です。
重症敗血症や敗血症性ショックの患者では、抗菌薬の投与が1時間遅れるごとに死亡率が上昇することが知られています。このような状況で、培養結果を待ってから狭域抗菌薬を選択する余裕はありません。ブロードスペクトラム抗菌薬の「幅広くカバーする力」が、患者の命をつなぐ役割を担います。
たとえば院内肺炎が発症した場合、起炎菌としてMRSAや緑膿菌も念頭に置き、バンコマイシン+メロペネムを経験的に開始することが選択肢となります。通常、血液・痰・尿などの培養検体を提出してから抗菌薬が投与開始され、72時間程度で原因菌の判明が期待できます。この培養結果の判明が、次の「デ・エスカレーション」のスタート地点になります。
ただし、エンピリック治療を成功させるうえで見落としがちな重要点があります。それは「培養検体を抗菌薬投与前に必ず採取する」ことです。抗菌薬を先に投与してしまうと、感染の証拠となる菌が培養で検出されにくくなり、デ・エスカレーションの根拠を失います。検体採取→抗菌薬投与の順番を守ること、これが条件です。
適切なタイミングで適切な検体が採取できれば、その後の治療の精度が格段に上がります。これは使えそうです。各施設の感染制御部や感染症科では、起炎菌の想定パターンをまとめた抗菌薬選択ガイダンスを整備していることが多いため、迷ったときは積極的に活用することをおすすめします。
参考:エンピリックセラピーとデ・エスカレーションの解説(大阪大学医学部附属病院 感染制御部)
デ・エスカレーションって何? | 大阪大学医学部附属病院 感染制御部ICTモニター
デ・エスカレーション(de-escalation)とは、広域スペクトラム(ブロードスペクトラム)の抗菌薬から、より狭域なスペクトラムの抗菌薬へ段階的に切り替えることです。日本語では「段階的縮小」と表現されることもあります。この概念は2005年のATS/IDSA(米国胸部疾患学会/米国感染症学会)の院内肺炎ガイドラインから推奨が始まり、現在は各国の感染症診療ガイドラインの中核的概念となっています。
デ・エスカレーションが必要な理由は複数あります。
- 耐性菌選択の予防:広域抗菌薬を長期使用するほど、耐性菌が選択されやすくなります。
- CDIリスクの低減:常在菌叢を守ることで、クロストリジオイデス・ディフィシルが増殖しにくくなります。
- 医療コストの削減:ピペラシリン/タゾバクタムやメロペネムは高額です。狭域薬への切り替えは薬剤費の削減にも直結します。
- 患者予後の改善:敗血症患者や院内肺炎患者においてデ・エスカレーションにより生命予後が改善したという報告があります(Chest 2006;129:1210-8、Crit Care 2011;15:R79)。
具体例で見てみましょう。院内肺炎でバンコマイシン+メロペネムを開始した後、痰の培養でモダシン(セフタジジム)感受性の緑膿菌が確認され、かつグラム陽性球菌が否定的であれば、バンコマイシンを中止してメロペネムをモダシンに変更します。これがデ・エスカレーションの典型例です。
デ・エスカレーションには必須の条件があります。「①患者の重症度が改善していること」「②適切な感染症診断のための検体採取が行われていること」の2点です。これが条件です。逆に言えば、この条件が整わなければデ・エスカレーションを無理に行う必要はなく、臨床判断が優先されます。
デ・エスカレーションを実施するためのツールとして、前述の抗菌薬スペクトラムスコア(ASS/ASC)が有用です。岡山大学病院では実際にASCスコアをAST(抗菌薬適正使用支援チーム)の活動指標として導入し、デ・エスカレーションの達成状況をモニタリングする取り組みが始まっています。
参考:デ・エスカレーションの概念とAMR対策の歴史(大阪市立大学)
エスカレーションとデエスカレーション | AS lecture(大阪公立大学)
「ブロードスペクトラム抗菌薬をどれだけ使っているか」を施設レベルで可視化・管理するために、現在世界的に活用されているのがWHOの「AWaRe分類」です。AWaReとはAccess(アクセス薬)・Watch(注意薬)・Reserve(リザーブ薬)の頭文字を取ったもので、それぞれ以下のように定義されています。
- Access(アクセス):一般的な感染症に対し第一・第二選択として使用できる薬剤。耐性リスクが比較的低い。例:アモキシシリン、セファゾリン
- Watch(注意):耐性リスクが高く、使用を最小限に抑えるべき薬剤。例:セフトリアキソン、フルオロキノロン系
- Reserve(リザーブ):多剤耐性菌などに対する最後の切り札。原則として厳格な管理のもとでのみ使用。例:コリスチン、セフィデロコル
WHOはAccess薬の処方比率が全抗菌薬処方の60%以上になることを目標として掲げています。つまり、適正使用とはWatchやReserve薬を可能な限りAccess薬に置き換えていくことでもあります。
日本では2024年(令和6年)の診療報酬改定で「抗菌薬適正使用体制加算(5点/月1回)」が新設されました。これは外来でAccess抗菌薬の適正使用を推進している医療機関を評価するものです。ブロードスペクトラム抗菌薬の選択が直接、施設の報酬体制にも影響する時代になったということです。
ASTの活動が基本です。抗菌薬適正使用支援チーム(AST: Antimicrobial Stewardship Team)は、感染症専門医・薬剤師・臨床検査技師・感染管理認定看護師などで構成され、院内の抗菌薬使用をモニタリングしてデ・エスカレーションや治療期間の適正化を推進します。ASTの活動が整備されている医療機関では、抗菌薬の使用量が減少し、耐性菌の発生率も低下するというエビデンスが蓄積されてきています。
ブロードスペクトラム抗菌薬を「使わない」のではなく、「必要な場面で適切に使い、速やかに狭域化する」という考え方を医療チーム全体で共有することが、AMR対策の核心です。ブロードスペクトラムの効果を最大化するのは、その使い方の精度にかかっています。
参考:AWaRe分類とAMR対策アクションプラン(厚生労働省)
薬剤耐性(AMR)対策アクションプラン(2023-2027)概要 | 厚生労働省
参考:抗菌薬適正使用体制加算とAMR対策の解説
「抗菌薬適正使用体制加算」とは?AMR対策との関連や算定要件を解説 | Doctor Vision