肝不全の患者にハルトマン液を投与すると、乳酸が代謝されず高乳酸血症を悪化させる危険があります。
ハルトマン液という名前は、日本の医療現場で非常に頻繁に耳にする輸液のひとつです。しかし、「乳酸リンゲル液」「ラクテック」「ラクトリンゲル」など複数の呼称が存在するため、混乱しやすいのも事実です。まずは名称と歴史的な背景から整理しましょう。
ハルトマン液の一般名は乳酸リンゲル液(Lactated Ringer's Injection)です。1929年、米国の小児科医アレクシス・フランク・ハルトマン(Alexis Frank Hartmann)が、既存のリンゲル液に乳酸イオンを加えて改良したことが起源とされています。リンゲル液には中和剤が含まれておらず、また塩素イオン濃度が高い欠点がありました。ハルトマンはこの課題を解決するため、乳酸ナトリウムを加えることで塩素イオンを減らしつつ、代謝性アシドーシスを補正できる輸液を完成させました。
つまり原点はリンゲルです。
現在、国内で流通している「ハルトマン液」という商品名は、この歴史的経緯にちなんでいます。ネオクリティケア製薬の「ハルトマン液コバヤシ」、ニプロの「ハルトマン輸液NP」などがその代表的な製品です。また、海外では「Lactated Ringer's Solution(LR)」や「Hartmann's Solution」の名で広く流通しており、米国薬局方(USP)・英国薬局方(BP)にも収載されています。
| 呼称 | 主な使用場面 |
|---|---|
| ハルトマン液 | 日本(商品名由来) |
| 乳酸リンゲル液 | 日本(一般名) |
| Lactated Ringer's Solution | 米国・国際的な呼称 |
| Hartmann's Solution | 英国・オーストラリアなど |
| ラクテック・ラクトリンゲル | 日本(他社商品名) |
呼称が違うだけで中身は同じ乳酸リンゲル液です。現場で「ハルトマン液」「ラクテック」どちらが処方されても、基本的な成分組成と注意点は共通だと覚えておけばOKです。
参考:ハルトマン液コバヤシのインタビューフォーム(医薬品の詳細組成・開発経緯が確認できます)
ハルトマン液「コバヤシ」医薬品インタビューフォーム(ネオクリティケア製薬)
ハルトマン液が「細胞外液補充液」と呼ばれる理由は、その電解質組成がヒト血漿に非常に近いからです。500mL製剤(ハルトマン液コバヤシ)の有効成分は次の通りです。
| 有効成分 | 500mL中の含量 | 電解質濃度(mEq/L) |
|---|---|---|
| 塩化ナトリウム(NaCl) | 3.0 g | Na⁺ 130.4、Cl⁻ 109.4 |
| 塩化カリウム(KCl) | 0.15 g | K⁺ 4.0 |
| 塩化カルシウム水和物 | 0.1 g | Ca²⁺ 1.4(3.0 mEq/L相当) |
| 乳酸ナトリウム液(乳酸ナトリウムとして) | 3.1 g(1.55 g) | 乳酸イオン 28 |
pH は 6.0〜7.5、浸透圧比(対生理食塩水)は 0.8〜1.0 と、ほぼ等張です。浸透圧に換算すると約 278 mOsm/L であり、ヒト血漿の 285〜295 mOsm/L にほぼ一致します。
生理食塩水との大きな違いはクロール濃度です。生理食塩水のCl⁻は154 mEq/Lとヒト血漿(103 mEq/L)よりも約1.5倍高く、大量投与で高クロール性アシドーシスを引き起こすリスクがあります。一方、ハルトマン液のCl⁻は109 mEq/Lと血漿値に近く、この点が大きな優位性です。
塩素濃度の差は大きいですね。
また、乳酸イオン 28 mEq/L が含まれている点も重要です。この乳酸は体内で肝臓を介して重炭酸イオン(HCO₃⁻)に変換され、代謝性アシドーシスを補正する働きをします。ハルトマン液 500mL は「7%炭酸水素ナトリウム注射液 約20mL」に相当するアシドーシス補正効果を持つとされています。ただし、乳酸の代謝は肝臓でしか行われないため、肝機能が低下している患者では注意が必要です。これについては後の禁忌・慎重投与の項で詳しく述べます。
参考:細胞外液補充液の組成比較と乳酸リンゲル液の位置づけが詳しく解説されています
水・電解質輸液の分類と各種輸液の組成解説(PEG.or.jp)
添付文書に記載されているハルトマン液の効能・効果は、大きく2つです。
つまり、出血・外傷・手術・消化管からの大量喪失などで細胞外液が急激に失われた状態が主な適応です。ショック状態で「まず何を投与するか」という判断の場面で、ハルトマン液を含む等張晶質液が第一選択となります。
これが原則です。
用法・用量については、通常成人で1回 500〜1,000 mL を点滴静注します。投与速度は通常成人で1時間あたり 300〜500 mL とされており、年齢・症状・体重により適宜増減します。小児の場合は1時間あたり 50〜100 mL が目安です。なお、投与前に患者の尿量が1日 500 mL(または1時間あたり 20 mL)以上あることを確認することが推奨されています。
ハルトマン液が臨床で特に活用される場面は以下の通りです。
1,000 mL のハルトマン液を投与したとき、実際に血管内にとどまる量は約 250 mL と言われています。残りの 750 mL は組織間液へ移行するためです。これはコップ4杯分(800 mL)投与して、うち1杯分(200 mL)しか血管内に残らないイメージです。膠質液(アルブミンやHESなど)の血管内残存率と比較すると低いですが、安全性・コスト・汎用性の観点から晶質液が第一選択として推奨されています。
細胞外液補充液は広く使えますね。
ハルトマン液を安全に使用するうえで、最も重要なのが禁忌と慎重投与の理解です。「いつでも使える万能輸液」と思い込んで投与してしまうと、患者に重大な危険を及ぼすことがあります。
【禁忌】:高乳酸血症の患者には投与しないことが明示されています。すでに乳酸が高値の患者にさらに 28 mEq/L の乳酸イオンを含む輸液を大量投与すれば、高乳酸血症がさらに悪化します。高乳酸血症は敗血症・ショック・急性肝不全などでしばしばみられるため、このような重症患者では特に注意が必要です。
【慎重投与の対象】
肝障害への注意は見落とされがちです。
【副作用】として知られているのは、大量・急速投与による肺水腫・脳浮腫・末梢浮腫と、過敏症(紅斑・蕁麻疹・そう痒感)です。投与速度と投与量の管理は必須の観察ポイントです。
また、ハルトマン液にはカルシウムイオン(Ca²⁺)が含まれているため、クエン酸を添加している血液製剤と同一ラインで混合投与すると凝血塊が生じるリスクがあります。輸血との同一ライン投与には注意が必要です。これは現場でも見落としやすいポイントのひとつです。
参考:ハルトマン輸液の禁忌・慎重投与・副作用について詳しく確認できます
ハルトマン輸液「NP」基本情報・添付文書(日経メディカル処方薬事典)
ハルトマン液の特性を理解したうえで、実際の臨床では「どの輸液を選ぶか」の判断が求められます。ここでは代表的な輸液との比較を整理します。
① ハルトマン液 vs 生理食塩水
どちらも細胞外液補充液ですが、大量投与時の安全性には差があります。生理食塩水のCl⁻は154 mEq/Lで、ヒト血漿値(103 mEq/L)の約1.5倍。大量投与で高クロール性代謝性アシドーシスを起こすリスクがあります。一方、ハルトマン液のCl⁻は109 mEq/Lと血漿値に近く、乳酸によるアシドーシス補正効果もあるため、大量輸液蘇生が必要な外傷・敗血症ではハルトマン液が選ばれる場面が多いです。
生理食塩水は今も薬剤の溶媒として使います。
② ハルトマン液 vs 酢酸リンゲル液(ラクテック®G、フィジオ140® など)
酢酸リンゲル液の最大の違いは、中和剤が「乳酸」ではなく「酢酸」である点です。酢酸は肝臓・腎臓に加え、全身の筋肉でも代謝されます。そのため、肝不全・ショック・敗血症など乳酸が蓄積しやすい病態では、酢酸リンゲル液がより適した選択肢になります。ハルトマン液は乳酸代謝が正常に機能している患者に向いています。
③ ハルトマン液 vs 3号液(維持液)
3号液(ソリタT3、ソルデム3Aなど)は維持輸液です。Na⁺濃度が35〜50 mEq/L程度と低く、K⁺が10〜20 mEq/L程度含まれています。バイタルが安定した後、1日の水分・電解質を補う目的で使われます。一方、ハルトマン液はNa⁺が130 mEq/Lの等張液で、急性期の細胞外液補充が目的です。「まず循環を安定させる → その後維持輸液に切り替える」という流れが一般的です。
| 輸液 | Na⁺(mEq/L) | Cl⁻(mEq/L) | K⁺(mEq/L) | 中和剤 | 主な用途 |
|---|---|---|---|---|---|
| ハルトマン液 | 130 | 109 | 4 | 乳酸(肝代謝) | 急性期の細胞外液補充・アシドーシス補正 |
| 生理食塩水 | 154 | 0 | なし | 薬剤溶解・血管路維持・緊急時補液 | |
| 酢酸リンゲル液 | 130〜140 | 98〜115 | 4〜5 | 酢酸(全身筋肉でも代謝) | 肝障害・ショック・術中輸液 |
| 3号液(維持液) | 35〜50 | 35〜53 | 10〜20 | 乳酸・酢酸など | 安定期の維持輸液・術後管理 |
病態に合わせた使い分けが患者の転帰に影響します。急性期にハルトマン液を使い、状態が落ち着いたら3号液に切り替えるという流れを体系として理解しておくと、輸液管理の精度が高まります。
参考:細胞外液補充液の使い分けと各輸液の組成比較を詳しく解説した情報です
輸液剤の使い分け|ナース専科(看護師向け輸液解説)
ハルトマン液に関して、教科書や添付文書だけでは見えにくい実臨床上の落とし穴があります。それが「乳酸値への干渉問題」です。
敗血症・ショックの管理では、血中乳酸値(血清乳酸値)の推移がモニタリング指標として重要な役割を担っています。乳酸クリアランス(乳酸値の低下速度)は予後予測指標にも使われており、例えばSurviving Sepsis Campaign(SSC)ガイドラインでも乳酸値が 2 mmol/L 以上であれば輸液療法の反応性確認を推奨しています。
これは知らないと困りますね。
ここで注意すべきなのは、ハルトマン液の乳酸イオン濃度が28 mEq/L(≒28 mmol/L)と高いことです。大量のハルトマン液を投与した後に採血すると、輸液由来の乳酸が血液検査の乳酸値を見かけ上引き上げる可能性が指摘されています。ショック患者に大量輸液蘇生を行いながら血清乳酸値を評価する際、「乳酸が下がらない=病態が改善していない」と判断するのが正しいのか、それとも「輸液由来の乳酸が影響している」のかを鑑別する必要が生じることがあります。
この問題は実臨床でしばしば議論になります。明確な数値基準がまだ整備されているとは言えないため、乳酸値が高い重症患者に対してはハルトマン液(乳酸リンゲル液)よりも酢酸リンゲル液を選択することで、血清乳酸値評価への干渉を最小限に抑えるという考え方もあります。
さらに、ハルトマン液のL型乳酸(生体が代謝できる乳酸)とは別に、一部の製品でのD型乳酸の混入問題が議論された経緯もあります。現在の日本国内製品はL型乳酸を使用しており、この点での臨床的懸念は限定的ですが、文献を読む際には念頭に置く価値があります。
輸液蘇生中の乳酸値モニタリングには、採血のタイミングや投与した輸液の種類を常に記録・把握しておくことが、評価精度を高めるうえで重要です。記録に残す習慣をひとつ加えるだけで、チーム全体の判断精度が上がります。
参考:輸液選択と血清乳酸値モニタリングの関係について、ER・ICU領域の実践的解説があります
輸液選択で知っておくべき3つのポイント(in-the-emergency-room.com)