患者参加に熱心な病院ほど、医療事故報告件数が増えている。
患者参加型医療とは、患者や家族が医療の意思決定プロセスに積極的に関与し、医療従事者と対等なパートナーとして治療方針を決定していく医療のあり方を指します。単に「説明して同意を得る」というインフォームドコンセントの枠を超え、患者自身が自分の医療情報にアクセスし、治療の選択に主体的に参加する仕組みです。
厚生労働省はこの概念を「患者・市民参画(Patient and Public Involvement:PPI)」として公式に推進しています。2018年の「患者・市民参画ガイドライン」策定以降、政策立案の段階から患者・市民の意見を取り入れる取り組みが本格化しました。これは単なる理念ではありません。
具体的には、医薬品・医療機器の審査プロセス、臨床研究の計画立案、さらには国の審議会への患者委員参加まで、制度設計の根幹に患者の視点が組み込まれるようになっています。厚生労働省の「第8次医療計画」(2024〜2029年度)においても、患者・市民参画の推進は重点施策のひとつとして位置づけられています。医療従事者はこの流れを他人事として捉えてはいけません。
日本では長らく「医師が最善の治療を判断して提供する」というパターナリズム型の医療が主流でした。しかし、慢性疾患の増加、高齢化、情報リテラシーの向上により、患者側のニーズと期待値は大きく変化しています。つまり、制度の変化は社会構造の変化そのものです。
参考:厚生労働省「患者・市民参画(PPI)について」のページ。患者・市民参画の定義、ガイドライン、審議会における取り組みなど、制度の全体像が確認できます。
冒頭で示した「患者参加に熱心な病院ほど医療事故報告件数が増える」という事実、これは一見すると矛盾しているように見えます。しかし実際には、患者参加型の医療安全文化が根付いた施設ほど、インシデント・アクシデントの「報告率」が高くなるという構造があります。隠蔽ではなく可視化が進む、ということです。
医療法人日本医療機能評価機構(JCQHC)が公表する「医療事故情報収集等事業」によれば、報告件数の多い病院は必ずしも「危険な病院」ではなく、報告文化が成熟している施設である場合が多いとされています。患者が「気になることを言える環境」があると、医療側も小さなミスを報告しやすくなります。これは現場感覚とも一致します。
厚生労働省は「患者参加型の医療安全」の観点から、患者自身が自分の医療情報を確認し、投薬や処置の確認に参加することを推奨しています。WHO(世界保健機関)の「患者安全のための世界的チャレンジ」でも、患者参加は医療安全対策の柱のひとつに位置づけられています。患者参加が安全の底上げにつながるということですね。
たとえば、入院患者が自分の内服薬リストを手元に持ち、看護師と一緒に確認するという「持参薬確認への患者参加」だけで、薬剤投与エラーの発生率を最大30%削減できたという研究報告もあります。数字で見ると、その効果の大きさが実感できます。
医療従事者としては、「患者に確認させる」という感覚ではなく、「患者と一緒に確認する」という発想の転換が重要です。この視点のシフトが、現場の安全文化を根本から変えます。
参考:日本医療機能評価機構「医療事故情報収集等事業」年報。報告件数の傾向と医療安全文化の関係が詳しく解説されています。
公益財団法人 日本医療機能評価機構:医療事故情報収集等事業 報告書
患者参加型医療の実務的な核心となるのが、「共同意思決定(Shared Decision Making:SDM)」という概念です。これは、医療従事者が持つ専門的知識と、患者が持つ個人的な価値観・生活背景を組み合わせて、最適な治療方針を一緒に決定するプロセスです。単なる「インフォームドコンセントの強化版」ではありません。
SDMの実践には、「意思決定支援ツール(Patient Decision Aids:PDA)」の活用が有効とされています。PDAとは、治療の選択肢、それぞれのメリット・デメリット、エビデンスをわかりやすく整理した教材のことで、パンフレット、動画、Webツールなどの形式があります。厚生労働省の研究班でも、日本語版PDAの開発と普及が進められています。
日本では、がん領域でのSDM導入が最も進んでいます。たとえば乳がんの手術方法(乳房温存術か全摘出術か)、前立腺がんの治療選択(手術・放射線・ホルモン療法)など、複数の選択肢が存在する領域でPDAの有効性が確認されています。これは使えそうです。
SDMを現場で実践する際の基本ステップは以下の通りです。
このプロセスを記録として残すことが、訴訟リスクの低減にもつながります。意思決定の過程を記録に残すことが原則です。特にリスクの高い治療選択や、患者が迷っているケースでは、SDMの実施記録が重要な証拠になります。
参考:国立がん研究センター「意思決定支援に関するリソース」。SDMの概念と日本での実践例が豊富に掲載されています。
患者参加型医療の推進に伴い、診療記録の開示・活用のあり方も大きく変わりつつあります。厚生労働省は2003年に「診療情報の提供等に関する指針」を策定し、患者が自己の診療情報を入手する権利を明確に認めました。しかしそれ以上に重要な変化が、電子カルテの普及によって加速しています。
近年では、患者がスマートフォンやタブレットから自分の診療情報・検査結果・処方内容をリアルタイムで閲覧できる「患者ポータル」の導入が進んでいます。厚生労働省が推進する「全国医療情報プラットフォーム」構想では、2025年度以降、マイナポータルを通じて薬剤情報や診断書情報が本格的に連携される予定です。これは現場への影響が大きいですね。
医療従事者にとって重要なのは、患者が自分の情報を「見る」だけでなく、「理解して活用する」ための支援が求められる点です。カルテの記載が患者に読まれることを前提とした「わかりやすい記録の書き方」が、今後の医療従事者に求められるスキルになります。専門用語の多用は、患者参加の障壁になります。
また、情報開示に関連して、医療従事者が特に注意すべき点があります。患者が自分のカルテを読んで「記録の内容と説明が違う」と感じた場合、信頼関係の損傷どころか、苦情・訴訟のリスクに直結する可能性があります。記録と説明の一貫性が条件です。
実務上の対応として、以下の点を確認しておくことが重要です。
参考:厚生労働省「診療情報の提供等に関する指針」および全国医療情報プラットフォームの概要が確認できます。
ここで、一般的な患者参加型医療の解説記事にはほとんど書かれていない、重要な視点を取り上げます。それが「患者の意思決定疲弊(Decision Fatigue)」という問題です。患者参加を推進するほど、患者が追い詰められるケースがあります。
意思決定疲弊とは、人間が繰り返し選択や判断を求められることで、精神的・認知的リソースが枯渇し、判断の質が著しく低下する現象です。重篤な疾患を抱えた患者が、次々と「どちらの治療を選びますか?」「検査を受けますか?」「家族には知らせますか?」と問われ続けると、最終的には「先生にお任せします」という一見受け身に見える選択をしてしまうことが、心理学的研究によって示されています。
これは「患者の自律性の放棄」ではなく、「認知的限界のサイン」です。この違いを理解することが、医療従事者の専門性のひとつです。2021年に『BMJ』誌に掲載されたシステマティックレビューでは、SDMの実施において患者の認知負荷に配慮しない施設では、患者満足度が期待されるほど改善しなかったと報告されています。
厚しょ労働省のガイドラインでも「患者参加は患者の意思と能力に配慮して行う」とされており、「参加を強制しない」ことが明示されています。患者参加は義務ではありません。
医療従事者として実践できる対策は、意思決定の「タイミングと量のコントロール」です。一度の外来で複数の大きな選択を迫らない、重要な決定の前には十分な熟慮時間を提供する、意思決定支援者(家族やMSWなど)の同席を積極的に勧める、といった配慮が、真の患者参加型医療を実現します。
患者参加型医療の本質は、「参加させること」ではなく、「参加したい人が参加できる環境を整えること」です。この視点を持てているかどうかが、形式的な運用と本質的な実践の分かれ目になります。つまり、医療従事者側の配慮こそが鍵です。
参考:日本医療安全調査機構の「医療事故の再発防止に向けた提言」でも、患者・家族とのコミュニケーションの質に関する考察が参照できます。
日本医療安全調査機構:医療事故の再発防止に向けた提言(各号)