「溶ける糸」はどれも同じだと思って選ぶと、縫合不全や感染リスクを自ら高めることになります。
吸収性縫合糸は大きく「天然素材」と「合成素材」の2系統に分けられます。この分類を正確に把握しておくことが、術式や部位に合わせた糸選びの第一歩です。
天然素材を代表するのがカットガット(腸線)です。羊やヤギの小腸漿膜を加工した糸で、歴史上1840年代にすでに吸収性縫合糸として優れていることが確立されていました。さらに1868年にはジョゼフ・リスターがクロム酸処理を施した「クロミックカットガット」を開発し、耐久性を高めました。しかし現在では使用は非常に限定的です。
理由は明確です。カットガットは体にとって異種タンパクであるため、組織反応性が非常に強く炎症が起こりやすい。さらにBSE(牛海綿状脳症)問題を受けて安全性への懸念が高まり、多くの施設で合成吸収糸への置き換えが進みました。つまり「天然=体に優しい」ではないのです。
一方の合成素材は、石油由来のポリマーを化学的に合成したものです。主な素材として以下が挙げられます。
| 素材名 | 製品例 | 構造 | 吸収期間の目安 |
|---|---|---|---|
| ポリグリコール酸(PGA) | デキソン | 編糸(マルチ) | 60〜90日 |
| ポリグラクチン910(PGLA) | バイクリル | 編糸(マルチ) | 56〜70日 |
| ポリグレカプロン25 | モノクリル | モノフィラメント | 91〜110日 |
| ポリジオキサノン(PDS) | PDS II、PDSプラス | モノフィラメント | 180〜210日 |
| 腸線(クロミックガット) | — | 天然・編 | 約7日(早い) |
合成素材は製品ごとのバラつきが少なく、安定した抗張力と予測可能な吸収期間が得られます。組織反応も天然素材より軽微です。これが合成吸収糸が現代の手術室で主流となった理由です。
参考:各素材の特性比較はMSDマニュアル プロフェッショナル版でも確認できます。
縫合糸の素材一覧(MSDマニュアル プロフェッショナル版):モノフィラメント・編み糸・天然素材ごとの組織反応性・結節保持力・吸収期間が表形式でまとめられています。
吸収性縫合糸を選ぶとき、「溶けるまでの日数」だけを意識している方は少なくありません。しかし実際に臨床で重要なのは「抗張力がいつまで保たれるか」という点であり、吸収完了とは別物です。ここを混同すると、縫合した組織が強度を失うタイミングを誤って判断することになります。
たとえばPDS II(ポリジオキサノン)は吸収完了まで180〜210日かかりますが、埋入後14日時点ではまだ初期強度の約70%を保持しています。一方で42日経過時点では約25%まで低下します。体の中に長く残っているからといって、ずっと強いわけではないのです。
バイクリル(ポリグラクチン910)では保持力の大半が3週間で失われます。モノクリル(ポリグレカプロン25)に至っては7日で初期抗張力の50〜60%が失われる速度感です。これはちょうどはがきの横幅ほどの傷(約10cm)が、術後1週間で縫合糸の強度のほぼ半分を失った状態で癒合を進めることを意味します。縫合した組織の自己癒合力と糸の抗張力維持期間のバランスを正しく把握することが求められます。
縫合糸の抗張力を整理するとこのようになります。
抗張力と吸収期間は別の概念です。両者を分けて理解することが、縫合糸選択の基本です。
参考:縫合糸の種類ごとの特性が詳しく解説されています。
手術用縫合糸の種類とその選択(wound-treatment.jp):吸収糸・非吸収糸・モノフィラメント・編糸の分類と臨床判断の考え方が解説されている、外科医向けの実用的なページです。
感染リスクにおいて縫合糸の「素材」よりも「構造(モノフィラメントかマルチフィラメントか)」が重大な影響を与えるという事実は、見落とされやすい点です。
マルチフィラメント(編糸)は細い繊維を複数撚り合わせた構造です。このため糸と糸の隙間に毛細管現象が生じ、細菌が繊維内部に入り込むことがあります。入り込んだ細菌は好中球やマクロファージが届きにくい空間に潜むため、免疫系による排除が困難になります。この現象は特に感染菌量が少ない場合でも問題になることがあります。
一方でモノフィラメント(単糸)は構造上、細菌が入り込む隙間がほぼありません。毛細管現象が起きないため、感染リスクの観点ではモノフィラメント素材が有利です。ただし、その分だけコシが強く結節が滑りやすい(ほどけやすい)という扱いにくさがあります。
感染と操作性はトレードオフの関係です。
さらに近年注目されているのが、トリクロサンコーティングを施した抗菌吸収性縫合糸です。バイクリル®プラスやPDS®プラスなどが代表的な製品です。トリクロサンは歯磨き粉や石けんにも使用される抗菌剤で、低濃度で細菌の脂肪酸合成を阻害し、静菌作用を発揮します。この糸が阻害できる細菌には黄色ブドウ球菌・MRSA・表皮ブドウ球菌・大腸菌・肺炎桿菌などが含まれます。
大阪大学消化器外科共同研究会が国内24施設・2,207例を対象に実施した多施設共同前向き研究では、大腸がんの待機的手術において、抗菌縫合糸群のSSI発生率は4.21%、非抗菌縫合糸群は6.74%(p=0.028)であり、抗菌縫合糸がSSIを有意に減少させたと報告されています。差にして約2.53%ですが、1例あたりのSSI追加医療費が中央値184,800円という試算があることを踏まえると、年間200件の手術があれば5〜6件のSSI抑制だけで年間100万円規模の医療費差に相当する計算になります。
ただし注意が必要です。大規模RCTのメタ解析では有意差が示されなかった報告も存在し、現時点のガイドラインでは「推奨と非推奨が混在」する状況です。素材の選択にあたって感染リスクを考慮することは重要ですが、抗菌縫合糸が万能な解決策ではない点も理解した上で使用判断を行う必要があります。
参考:国内大規模研究の詳細はこちらで確認できます。
抗菌縫合糸の使用でSSI発生率低減(CareNet):国内24施設・2,207例を対象としたトリクロサンコーティング縫合糸の前向き多施設共同研究の結果が詳しく紹介されています。
吸収性縫合糸を使い分ける際は、縫合対象の組織が「どのくらいの期間、糸に支えてもらう必要があるか」を基準に素材を絞り込むのが原則です。
消化管や尿路では糸が長期間残ることで結石の核になるリスクがあります。そのため早期〜中期吸収の糸が選ばれることが多く、胆管や尿管ではバイクリルやモノクリルなど吸収期間が60〜110日程度の素材が適します。これが基本です。
筋膜は術後の支持が長期に必要です。腹壁閉鎖では組織の引っ張り力に耐えるため、抗張力維持期間の長いポリジオキサノン(PDS)を選ぶことが多いとされます。吸収完了まで180〜210日かかるこの素材は、腹腔鏡手術の小切開閉創にも使われます。
皮下組織・真皮縫合には中程度の維持期間を持つポリグラクチン910(バイクリル)が広く使われます。3週間程度で抗張力の大半が失われる設計は、皮膚が一定以上癒合するタイムラインと合致しています。
口腔内・粘膜では早期吸収が好まれます。抜糸が困難な部位に非吸収糸を置くと、患者の不快感が大きくなります。腸線(クロミックガット)は1週間程度で吸収される特性から、歯科口腔外科領域や内視鏡処置後の粘膜閉鎖などに使われることがあります。ただし組織反応性が高い点は留意が必要です。
部位別に整理するとこうなります。
なお、感染リスクが高い部位や患者状態によっては、モノフィラメント素材を優先する判断も生じます。構造(編糸 vs 単糸)と素材(ポリマー種)の2軸を組み合わせて考えることが、より正確な選択につながります。
参考:部位別の縫合糸選択の考え方はこちらで詳しく確認できます。
縫合糸の分類とサイズ(Medtronic):吸収性・非吸収性縫合糸の主な使用部位、モノフィラメントとブレイドの特性比較、サイズ表示の読み方まで網羅的に解説されています。
吸収性縫合糸はすべて体内で加水分解されますが、その分解の「速さ」には素材ごとに大きな差があります。この速度差が、実臨床で予想外のトラブルの原因になっていることがあります。
合成吸収糸の分解過程は一様ではありません。ポリジオキサノン(PDS)のような分子量の大きい素材は、まず内部から徐々に分子鎖が切断されます。糸の外見はしばらく保たれているのに、内部では強度が低下しているという状態が起きます。これが「見た目は残っているのに、抗張力はすでに失われている」という現象の原因です。
一方でポリグラクチン(バイクリル)は外側から均一に分解が進むため、見た目の変化と強度低下が比較的連動しやすいとされます。しかし術後3週間でほとんどの保持力を失うため、癒合が遅延するケースでは想定より早く創部が不安定になるリスクがあります。
もう一点、見落とされやすい事実があります。ポリジオキサノン(PDS)は吸収性縫合糸の中で組織反応性が最も低い素材とされていますが、その硬さゆえ他の吸収糸より扱いが困難です。コシが強く結節が大きくなりやすいため、狭い術野での使用時には追加の結節が必要になることがあります。結節が増えるほど異物量が増え、局所の反応に影響する可能性がある点は意識しておくべきことです。
加水分解と組織吸収は別プロセスです。
加水分解で低分子化した後、最終的に代謝・排出されるまでにはさらに時間がかかります。たとえばポリグリコール酸(PGA)は加水分解でグリコール酸へ分解され、これが最終的に代謝されます。過程で蓄積した低分子量オリゴマーが局所での炎症反応を一時的に増強することがあるという研究報告もあります。
こうした加水分解の速度差・分解パターンの違いを理解しておくことで、術後の創部状態に対する見通しが変わります。「なぜこの時期に創の状態が変化したのか」を素材の特性から合理的に説明できるようになることは、チームでの術後管理の質を高める知識になります。
参考:PGA・PLA系素材の加水分解特性についての学術情報はこちら。