毎日きちんと塗っているのに、皮膚トラブルが減っていません。
介護現場において、撥水クリームが注目される背景には「失禁関連皮膚炎(IAD:Incontinence-Associated Dermatitis)」の深刻さがあります。IADとは、尿や便などの排泄物が皮膚に長時間接触し続けることで起きる皮膚炎であり、褥瘡(床ずれ)とは異なる独立した皮膚障害として近年明確に定義されるようになりました。
IADの有病率は、介護施設入所者の中で20〜33%に達するとする研究報告もあります。これは約3人に1人の割合です。高齢者の皮膚はもともとバリア機能が低下しており、皮膚表面のpHも乱れやすい状態にあります。そこに尿のアンモニアや便の消化酵素(プロテアーゼ・リパーゼなど)が繰り返し接触すると、皮膚は急速にダメージを受けます。
つまり、排泄物への暴露そのものをいかに減らすかが原則です。
撥水クリームは、皮膚表面に物理的・化学的な保護膜を形成することで、この排泄物との接触ダメージを軽減します。単なる「保湿」ではなく「バリア保護」が主な目的であり、その点が通常の保湿クリームとは本質的に異なります。撥水クリームを適切に使用することは、皮膚トラブルの予防だけでなく、利用者の苦痛軽減・ケアの効率化・施設の信頼維持にも直結します。
これは使えそうです。
撥水クリームには複数の成分タイプがあり、剤形によって使い勝手も保護効果も異なります。代表的な成分は以下の3系統です。
剤形はクリームタイプ・スプレータイプ・フォームタイプの3種類が市場に出回っています。クリームタイプは最も汎用的で塗布量の調整がしやすく、スプレータイプは広範囲に素早く塗れるため多床型施設での時間効率が高いです。フォームタイプは泡で出るため皮膚への摩擦が少なく、脆弱な皮膚に向いています。
製品選びが最初の分岐点です。
選ぶ際のポイントは「対象部位の皮膚状態」「おむつとの相性」「スタッフの塗布しやすさ」の3点を確認することです。たとえば、おむつを使用している利用者にペトロラタム系を使うと、吸収素材の撥水汚染が起こり、尿漏れが増えるリスクがあります。これは見落とされがちな盲点であり、製品を変えただけで尿漏れが改善したというケース報告もあります。
製品を施設全体で統一することで、塗り忘れや誤使用が減り、ケアの標準化にもつながります。
どれほど良い製品を選んでも、塗り方が誤っていれば効果は半減します。正しい塗布手順を確認しましょう。
まず大前提として、撥水クリームは「清潔な皮膚に塗る」ことが条件です。おむつ交換時に排泄物を拭き取り、陰部洗浄を行ってから塗布します。汚れた皮膚の上に塗布しても、被膜の密着性が落ちるだけでなく、細菌を閉じ込めるリスクもあります。
清潔にしてから塗るが基本です。
塗布量の目安は「薄く均一に広げる」こと。クリームタイプなら500円玉大程度を手のひらに取り、会陰部・肛門周囲・臀部全体に薄く伸ばします。厚く塗りすぎるとおむつへの付着や皮膚通気性の低下を招き、逆効果になる場合があります。
タイミングについては、次の2点が重要です。
また、「塗った後に少し乾燥させてからおむつを当てる」という手順が重要です。製品によっては30秒〜1分程度の乾燥時間を要するものがあります。塗布直後におむつを当てると、被膜形成が不完全なままになります。
手順が統一されると、ケアの質が安定します。
「きちんと塗っているのにIADが減らない」という声は、介護現場でよく聞かれます。その背景には、現場でよく見られる誤った使い方が潜んでいることがほとんどです。
最も多いNG行為は「薄すぎる塗布」です。時間短縮や経費削減の意識から、ごく少量しか塗らないケースがあります。しかし保護膜が不完全では意味がありません。製品の添付文書に記載された推奨量を守ることが前提です。
次に多いのが「拭き取りの際の過度な摩擦」です。おむつ交換時に排泄物を強くこすって拭き取ると、撥水クリームの被膜どころか、皮膚の角層そのものが傷つきます。拭き取りは「押さえる・やさしく取り除く」動作が正しく、ゴシゴシこする行為は厳禁です。
摩擦がトラブルの引き金になります。
さらに見落とされがちな盲点として、「洗浄剤の選択ミス」があります。アルカリ性の石鹸で会陰部を洗浄すると、皮膚のpHが正常値(弱酸性:pH4.5〜5.5)から大きく外れ、撥水クリームを塗っても回復が追いつかない状態になります。会陰部の洗浄には弱酸性の泡洗浄剤を使うことが推奨されており、撥水クリームとセットで考えることが必要です。
これらを施設内で「やってはいけないリスト」として掲示・共有するだけで、IADの発生率が下がったという施設事例も報告されています。
個々のスタッフが正しい知識を持っているだけでは不十分です。施設全体で同じ手順・同じ製品・同じタイミングで撥水クリームを使用できる「ケアプロトコル」を整備することが、長期的なIAD予防の鍵になります。
プロトコル整備の最初のステップは「IADのリスクアセスメントの定期実施」です。排便・排尿の頻度、皮膚の脆弱性、失禁の種類(尿失禁・便失禁・混合型)を評価し、撥水クリームが特に必要な利用者を明確にします。リスクが高いのは便失禁を伴うケースであり、便中の消化酵素は尿よりもはるかに皮膚刺激性が高いとされています。
標準化が施設の力になります。
次に、「使用製品の統一」と「塗布手順の明文化」を行います。手順書には塗布量・タイミング・洗浄手順・乾燥時間を具体的に記載し、新人スタッフでも迷わず実施できる形にします。写真付きのラミネート手順書を洗浄台に貼り付けるだけで、現場のバラつきが大幅に減少します。
さらに、定期的な「皮膚観察の記録化」が重要です。IADのステージング(GLOBIAD分類など)を活用し、観察結果を記録することで、悪化の兆候を早期に発見できます。記録があれば、介入の効果測定もできます。
栄養状態と皮膚の状態は密接に関連しており、低栄養の利用者はIADリスクが顕著に高まります。栄養士との連携も見逃せません。
プロトコルが定着すると、スタッフの判断の迷いが減り、ケアの質が均一化されます。利用者の皮膚トラブルが減少すれば、処置にかかる時間・材料費・精神的負担の削減にも直結します。IAD1件あたりの追加ケアコストは施設規模にもよりますが、創傷処置材料・人件費を含めると1件数千円〜数万円規模に達することもあります。
予防が最もコストパフォーマンスに優れた対策です。
撥水クリームを軸にした皮膚管理体制を施設全体で整えることは、利用者の生活の質(QOL)向上と、現場スタッフの負担軽減を同時に実現する、最も費用対効果の高い取り組みのひとつです。
日本褥瘡学会:IADベストプラクティス(撥水クリームを含む皮膚保護ケアのガイドライン)

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