「自然素材の家なら安全」と思っていたら、ヒノキの香りで症状が悪化することもあります。
化学物質過敏症(CS:Chemical Sensitivity)は、日常生活のなかで比較的多量の化学物質に暴露されたことをきっかけに発症し、その後はごく微量の化学物質でも多彩な症状を繰り返すようになる疾患です。国内の推計患者数は研究者によって差があるものの、京都大学大学院の内山巌雄教授らの調査では成人だけで約70万人、子どもを含めると約100万人とされています。さらに欧米の研究では予備軍を含めると人口の6〜30%が存在するとも報告されており、決して稀な疾患ではありません。
この疾患の特徴は、「一度発症すると全く異なる化学物質にも反応するようになる」点にあります。シックハウス症候群は汚染された室内環境から離れると症状が改善しますが、化学物質過敏症はそうではありません。つまり原因です。
医療従事者が住宅環境を評価・指導するうえで把握しておきたいのは、発症の引き金となる化学物質の種類です。住宅由来の主な原因物質には、合板の接着剤・塗料・防腐剤などに含まれるホルムアルデヒド、トルエン、キシレン、アセトアルデヒドなどのVOC(揮発性有機化合物)があります。厚生労働省が室内濃度の指針値を定めている物質は13品目にのぼります。
発症後は免疫系・自律神経系・内分泌系が複合的に関与するため、症状が多岐にわたるのも特徴です。頭痛・めまい・倦怠感といったありふれた症状が並ぶため、原因が住宅にあると気づかれないまま数年が経過するケースも珍しくありません。これは問題ですね。医療従事者が住宅環境を問診に含めることが、早期気づきの鍵になります。
環境再生保全機構(ERCA):シックハウス症候群・化学物質過敏症とアレルギーの違いと室内対策のポイント
住宅建材を選ぶ際、多くの施工業者が「F☆☆☆☆(エフフォースター)を使っているから安全」と説明します。これは大きな誤解を生みやすいポイントです。
F☆☆☆☆はJIS・JASが定めた等級で、「F」はホルムアルデヒド(Formaldehyde)の頭文字です。つまりこの等級が保証するのは、ホルムアルデヒドの放散量が少ないことだけです。トルエン・キシレン・アセトアルデヒドをはじめとする他の数多くのVOCについては、何ら保証するものではありません。施工業者でさえこの事実を誤認しているケースが多く、医療従事者が患者に「F☆☆☆☆ならOK」と伝えることは避けたほうが安全です。
建材選びの具体的な視点を整理すると次のようになります。
| 建材の種類 | 推奨される素材の方向性 | 注意が必要な点 |
|---|---|---|
| 壁仕上げ材 | 紙壁紙・布壁紙・無添加漆喰 | 珪藻土はバインダーに化学物質を含む製品が多い |
| 床材 | 無垢フローリング・コルク・天然リノリウム | ウレタン塗装済み製品の方が無垢より症状が出にくい患者もいる |
| 接着剤 | でんぷんのり・水性接着剤 | 有機溶剤系接着剤は広い面積への使用を避ける |
| 塗料 | 亜麻仁油・渋柿などの自然塗料 | ヒバ油・荏油などの自然塗料でも反応する患者がいる |
特に重要なのは、「自然素材だから絶対安全とは言えない」という事実です。これが原則です。ヒノキやヒバの木の香り成分(フィトンチッド)でも過敏症の患者が体調を崩すケースがあり、畳のイグサも同様です。また、珪藻土の壁材には珪藻土自体には固まる性質がないため、バインダー(つなぎ剤)が必要で、このバインダーに化学物質や海藻由来成分を含む製品が多く、それに反応する患者も確認されています。意外ですね。
一方、ウレタン塗装済みのフローリングが無垢材よりも症状を誘発しにくいケースや、本畳よりビニール製のゴザの方が問題にならないケースも報告されています。化学物質過敏症の対策は「自然=善、化学=悪」という単純な構図では語れず、個々の患者に何が合うかを確認するプロセスが不可欠です。
ふくろう不動産:自然素材の住宅が化学物質過敏症の方にとってかえってリスクになり得る理由(実例付き)
換気は化学物質過敏症対策において最も効果が高い手段とされています。2003年の建築基準法改正以降、新築住宅・マンションには「24時間換気システム」の設置が義務付けられています。法律で定められた必要換気回数は住宅の場合0.5回/h以上、つまり室内の空気を2時間に1回程度入れ替えられる能力が求められます。
ここで医療従事者が患者に必ず伝えてほしいのが、「電気代が気になるからと換気を止めてはいけない」という点です。換気システムを止めると、VOC(揮発性有機化合物)の室内濃度は急激に上昇します。新築住宅のVOC濃度は入居直後が最も高く、その後急速に下がりますが、換気を怠ると濃度が維持されたままになります。換気は止めないことが絶対条件です。
また、一般的なエアコンのほとんどは室内の空気を循環させているだけで、外気との換気機能はほとんどありません。内蔵フィルターもPM2.5や花粉への効果はあっても、VOCを除去する能力は持っていません。エアコンを使用しながら同時に窓開け換気を行うことが、現実的な対応策になります。
換気以外に日常生活で実施できる管理項目をまとめます。
空気の質をより精密に管理したい場合、HEPAフィルター搭載の空気清浄機とVOCセンサーを組み合わせる方法が有効です。VOCセンサーは室内のTVOC(総揮発性有機化合物)濃度をリアルタイムで把握でき、暫定目標値である400μg/m³を超えていないか確認することができます。一つの目安として活用できます。
国土交通省:建築基準法に基づくシックハウス対策の概要(換気回数・対象物質などの法的根拠)
患者が「化学物質過敏症だから自然素材の新築を建てたい」と相談してきた場合、医療従事者としてはリスクを正確に伝える必要があります。現実的に最も安全性が確認しやすいのは、「新築よりも築年数の経過した中古住宅」という選択肢です。
これは直感に反するかもしれませんが、根拠があります。新築住宅のVOC濃度は入居直後が最も高く、築5年以上経過した住宅では建材由来の化学物質がほぼ放散されて濃度が落ち着く傾向があります。建材も「使い古され、変な物質を発散していないことが多い」という実態があります。築5年以上の中古住宅を実際に訪問して体調に変化がないか確認するパッチテスト的なアプローチが推奨されます。
新築を選ばざるを得ない場合は、以下の点を施工業者に確認するよう患者に伝えてください。
賃貸住宅に関しては特有のリスクがあります。日本では入居者の退去後、約7割以上の賃貸物件でリフォーム(主に壁紙の張り替え)が行われると言われており、リフォーム直後の物件は非常に高濃度のVOCを含む空気環境になりがちです。「リフォームしていないと聞いていたのに、実際に内見したらリフォーム直後だった」というケースは多く報告されており、内見時に自分で確認することが不可欠です。
また、一つの場所に住宅を固定すると、隣家の外壁塗装工事や集合住宅の大規模修繕が実施された際に逃げ場がなくなるというリスクも存在します。転居のしやすさという観点も、患者の生活設計に含めて指導することが重要です。
MCS Information:化学物質過敏症の推定患者数1,000万人超の根拠と社会的課題の解説
住宅の建材や換気対策を整えても、日常的に使う生活用品から化学物質が持ち込まれれば意味がありません。これが見落とされがちな点です。住宅環境を整備するなら、生活用品の見直しもセットで進めることが条件です。
化学物質過敏症の患者を悩ませる生活用品として特に報告が多いものに、柔軟仕上げ剤・芳香剤・香水・整髪剤があります。これらは「香害」とも呼ばれ、他者が使用した柔軟剤の香りにより公共の場でも症状が誘発されます。患者自身の住宅であっても、同居する家族の使用する製品が原因になり得ます。
また、あまり知られていないのが「院内感染対策用製品」との関係です。消毒用アルコール・次亜塩素酸ナトリウム製剤・グルタラール(高水準消毒薬)は、化学物質過敏症を持つ医療スタッフや患者に症状を誘発することがある物質です。医療従事者が住宅に帰宅した後も、制服や衣類に付着した消毒薬の匂いが室内に持ち込まれることで、同居する過敏症の患者が影響を受けるケースも報告されています。これは使えそうな視点です。
患者が在宅療養中の場合、訪問看護師が使用する製品についても配慮が求められます。具体的には次の点が確認ポイントになります。
重症化した化学物質過敏症では、外出が困難になり仕事・学校に行けなくなるほど日常生活が制限されます。住宅環境は単なる「快適さ」の問題ではなく、患者の社会参加・QOL(生活の質)に直結する医療的課題として位置づけることが重要です。厚生労働省のシックハウス相談マニュアルでも、医療機関に対して「メンタル面のサポート」と合わせて対応することを推奨しています。
厚生労働省:科学的根拠に基づくシックハウス症候群に関する相談マニュアル(改訂新版)−医療従事者・保健所向けの対応指針を収録